あかさたなは、まこてぃ

我が輩は倉田慎である。
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『かけがえのない人』

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    5月になりました。
    新緑の芽吹きに思うことがあったのでブログを書く。



    嘘です。

    僕にそんな自然から真理を読み取る術なんてないっすw



    僕は今日それこそが大切なのだと思って、ある考えを大事な友達の一人に伝えた。
    その大切な考えが、その伝える寸前まで僕が受け入れられていなかった詩から影響を受けていたから。

    それは僕にとって衝撃的な瞬間だったのだ。

    以上、前置きっす。


    この4月の始め、facebookで共有した、ある詩がある。
    もう一度、ブログでも共有します。

    -----------------------------------

    題名『かけがえのない人』
    サクソン・ホワイト・ケッシンジャー作


    自分は偉いと思う時がある
    エゴが大きく咲き誇る時がある
    自分が部屋中で一番賢いのは
    当然と思う時がある

    自分がいなくなった後、誰もその穴を
    埋められないと思う時がある
    こんな簡単なことをするだけで
    どれだけ謙虚になれるだろう
    バケツに水を一杯にして
    片手を手首まで水につける
    手を水から抜いた時の穴の大きさが
    あなたが抜けた後の穴の大きさ

    手を水に入れる時、思い切り水飛沫を飛ばしても
    渦巻きになるまでかき回してもいい
    でも手を止めれば
    たちまちバケツの水は元のまま

    この風変わりなお話の教訓は
    とにかく最善を尽くし
    自分に自信をもて
    でも忘れるな
    この世にかけがえのない人などいないということ」
    -----------------------------------


    ここにアップしながら、僕は異を唱えていたのである。
    「嘘だ。僕だってきっと、誰かの心の支えになっている。」

    そう思いたかった。

    でも、たとえ今、誰かから求められているとしても、それを埋めてくれる存在がきっとすぐにやってくる。
    そのようなことも詩には書いてあった。


    今になって受け入れることができた。

    寂しいことではあるけれど、前向きに受け止めることも出来る気がしたから。

    誰からも求められていない、いなくなったとしても変わらず世界は回る、そんな存在であっても、
    僕たちはお互いを好きになれるし、愛することができる。

    それが無条件の愛なんだと思うし、本当の友情というのはそういうものだと思ったから。
    僕はそれをその友達に伝えた。



    もう一つ、思ったことがあった。

    僕は誰からも求められてはいない。
    いてもいなくても、この世界がずっと続くことに変わりはない。
    そうだというのなら、例えば、
    お互い愛を確かめ、かけがえのない人だと思い合う恋人たちはどうすればいいのだろう。
    僕がいなくても君は生きていけるのか。
    君がいなくても僕は生きていけるのか。
    君のいない世界なんて信じたくない、想像したくない。

    ここで絶望するか、覚悟が決まるかは個人の問題。


    誰かから求められている、と安心すること自体には何の価値もない。

    自分にあえて言い聞かせようと思う。
    "僕は誰かにとってのかけがえのない人にはなれない。"
    "僕がこの世界から消えたとき、世界はひとつも変わらない"


    そして僕は何を感じたのか。


    それでもいいと思えることが僕が本当に一生を愛を注ぐべき人だし、一生をかけてやるべきことだと思ったわけ。


    "とにかく最善を尽くし
    自分に自信をもて"


    僕はいつも僕のために文章を書く。

    2012.5.8
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    リボンムーブメント

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      ■近況報告

      お久しぶりです、あかさたなは、まこてぃです。
      (この意味不明な始め方は最初にして最後、華麗にして残酷っ)

      無事復学しました。

      近況報告ですが、この4月よりリボンムーブメントの活動を行っていくこととなりました。

      まず、活動の第一段として、
      10月20日(土)にイベントの開催を予定しています。
      今、東北大学百周年記念会館 川内萩ホールに申請書を提出し、正式な承認を待っているところです。

      さてイベントの内容とリボンムーブメントの活動は一致していて、一言で表すと、
      『子宮頸がんに対する正しい知識の普及、そして予防啓発を行うこと』です。


      ■リボンムーブメントってどんな団体だろう?

      リボンムーブメントでは、
      子宮頸がんを始めとした女性特有の病気に関する正しい情報の普及・啓発を、
      女子大生たち自身が語り手となり、活動しています。

      近年、20代〜30代の女性において発症率第1位のがんは子宮頸がん。
      今日では、1日におよそ10人の女性がその子宮頸がんによって命を落としています。

      しかし子宮頸がんは、唯一未然に防ぐことのできるがんであること。
      がんになる前にも発見できること。
      検診に行けば早期発見も可能であること。


      それにも関わらず、若い世代の多くがこの事実を知らず、
      若い世代の子宮頸がんは増え続けている。


      「自分たちの立場だからこそ同世代や次世代に伝えられることがある。」
      「正しい知識をもって、自分自身の手で大切なからだや未来を守ってほしい。」
      「大切な人に、大切な事を、大切だと伝えよう。」

      そんな思いで、女子大生によるムーブメントを創る活動をしています。

      以上が、リボンムーブメントの活動の中身。


      女子大生リボンムーブメントの活動については以下、ご参考まで。
      http://ribbon-m.com/


      ■僕の関わり方、そして夢

      僕はリボンムーブメントに仙台支部の代表として関わり、
      現在は、団体運営とイベントに向け、メンバー集めを行っています。



      「ちょっ!お前、男じゃん!!」
      「女子大生じゃないじゃん!!」


      そうですね。
      まともなツッコミどうもありがとうございます(てへ☆ぺろ)



      子宮頸がんはもちろん"女性だけの病気"かもしれない。

      だけど、それって"女性だけの問題"なのだろうか。

      僕の家族や恋人、友人に発症することってないのか。
      子宮頸がんだって、「関係ない」とは全く思わない。

      同じように、僕の病気はきっと"僕だけの問題"ではないのだと思う。

      リボンムーブメントが問題として取り上げているのは、
      自分たちが将来かかりうる病気に対する正しい知識を持っていないということ。
      そして、予防に対する意識の低さ。

      根底にある問題は、男女関係ないと思っている。


      僕も他人に言えるほど、考えているわけじゃない。
      だからこそ、なんです。
      自分も含めた多くの人が抱えている問題だからこそ、考えたい。

      「どうしたら多くの人が自分たちの健康のことを普段から考えられるようになるか」

      ここにスポットを当てて活動することは、
      僕自身、今までずっと掲げてきた"医療への貢献"という夢に少しでも近づくことになると思っているし、リボンムーブメント自体の活動も非常にやりがいを感じているから、きっかけをもらうことができて、本当に感謝している。

      僕にとって実現したい理想の医療のかたちがある。
      その一端を担えるのなら。


      リボンのイベントに話を戻すと、
      僕は代表として動きますが、実際にイベントで前に出るのはもちろん女子大生のみ。
      僕はうしろからイベントの成功をサポートさせていただく感じになります◎

      というわけで、長くなりましたが、
      今は一緒に運営メンバーとして活動していただける仲間を集めています。

      主要メンバーには男女は関係なし。
      今のところメンバーは3人
      絶賛募集中ですっ!

      ・少しでも興味を持っていただけた方
      ・話しだけでも聞きたい方
      ぜひ遠慮なく、ご連絡ください◎

      E-mail: makoto.k.cool1@gmail.com
      twitter: @makoteea

      よろしくお願いいたします。

      2012.4.27
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      原点

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        ■僕にとっての賢さ

        僕は大学に入学してから、ずっと
        「自分の人生を自分で動かすために,賢くなること」
        を目標にしてきた。


        僕は自分の賢さについて敏感だと思う。
        もっと物事を深く見つめ、そして早く考えられるようになりたいと常々思ってきた。

        裏返せば、僕は現状分析能力や思考力が低いという自己評価を下しているということ。今までの人生を振り返れば、その根拠を挙げるには十分すぎるほどの材料がある。

        でも、今の僕にとって、そうした自己評価は自己否定には繋がらない。

        僕はいつからか、"生きる"という動詞に含まれた主語を明確に意識するようになった。僕以外に僕の人生の責任を負う人はいないし、あらゆる選択肢の決定権は僕にあるのだ、ということを理解した。

        他人の人生を生きることはできない。だから、僕は自分のもつ全ての要素を愛することにした。僕の持ち合わせている能力をスタート地点に物事を考える。当たり前のことだけれど。昔はそうではなかったから。


        最近になって、僕が大学に入学してから積極的に行ってきたことの中から、これからも大事にしていこうと思う行動軸の一つを言葉で定義することができた。

        『人よりも多くの一次情報を得る(=人よりも多くの経験をする)。』

        ということ。その差を大きくすることが、ひとまずは欠けている部分を補ってくれる。

        僕は「ある程度、日常とは違った環境に身を置くことで思考が急速に活発になり、そしてそれが終わりに近づくと一気に収束し、新たな価値観を形成する」という経験を何度か味わった。

        実際に体験をすることの最大のメリットはこれ以上ないリアリティを感じながら考えることができるからだ。

        英語が話せるようになりたければ、実際に英語圏に行って喋ってみる。
        シリコンバレーという土地が気になるのなら、現地に赴いてみる。
        医療という分野で見識を深めたいのなら、医療に従事する方に話を聞きに行ってみる。
        工場で何が起こなわれているのかを知りたければ、見学してみる。

        こうしたものは例に過ぎない。実際のところ、時間あたりに得られる情報量は読書に分がある、と僕は思っている。だけれど、情報の価値や濃度で言えば、実体験を伴った一次情報が圧倒的だと思う。

        そうした体験が、僕の思考に、より豊富な材料を与え、より主体的に物事を考えることに寄与すると思う。これからは「一次情報をより多く得ること」を明確に行動のベースにする。


        ■震災以降

        僕が今年したことはとても短絡的で時間さえあれば誰にでも出来ることばかりだったと思う。でもしたいと思っても、なかなかできないことをしたと思っている。

        今日からちょうど一年前の2011.3.11にいつでも死が隣にあることを理解してからは、"いつでもできること"だったものは今までと姿を変えた。この震災を機に命を落とした方々と僕を隔てる理由などどこにも無かった。


        震災以降、何も出来ない自分に苛立ち、燻っていた半年間。自分が何をすべきなのか分からなかった。半年経ったとき、深い暗闇に一人佇んでいた。


        今でも正しいと思える答えは出ない。僕は自分を肯定する為にひとまず用意したのは、少なくとも、震災前と後、それぞれの人生がプラスに向かう転機を迎えることだと思う。


        僕が直接被災地の為に出来ることは募金やボランティア以外にはない。一方で、この先、ずっと募金やボランティアが出来るわけではない。僕は震災を機に何かしら行動軸が変わったら、それだけで十分なのではないかと、自分を肯定することにした。

        僕の人生の中でこの半年間が一番楽しくエキサイティングな半年間だった。
        今までのブログに書いてきたように、自分にとって大きな気付きがいくつもあった。
        更に、最近になってもう一つ気付いたことがあったので、それは後述する。

        ともかく、この半年のおかげで、僕は暗闇から抜け出すことができたし、今日という一日を穏やかに過ごすことができていると思う。

        ■もっともっとリスクを取る

        結果的に日本で生きていくにはリスクを取り過ぎたかもしれない。でも全然大したことはないと思っている。「生きているだけで丸儲け」とは本当にその通りだから。

        長い目で見たら、僕があのまま・このままでいることの方がよほど僕にとってハイリスクだし、端から見ればどんなに恵まれた環境にあっても、人生の決定権を常に握っているという感覚がない限り、精神的にハイリスクだと思うようになった。


        誰かに迷惑をかけずに生きることは不可能だと人は言う。でも誰かに守られて生き続けることは保証されていない。

        僕は人に頼るにしても、迷惑をかけるにしても、今のままでは頼り過ぎ迷惑かけ過ぎになってしまうのではないかと思う。

        まず自分が生きていける食っていける環境を増やすのが、僕の生存戦略。
        今のうちは、迷ったときは、より難しい方を選ぶ。人によって一つ一つの行動におけるリスクは異なる。"僕にとって"できるだけ大きいリスクをとっていく。

        僕から大学卒(まだ卒業していませんが)という肩書きを取っ払い、友達という繋がりを断たれ、社会にほっぽり出された時、僕は生きていけるのか。

        なんにせよ、一人で生き抜く力をつけることが何よりも重要だと思っている。

        サバイバルする力が欲しい。優秀と呼ばれるような実力ある人になりたい。引く手あまたな出来る人になりたい。それはつまり賢さを求めていることと根は同じなのだが、その理由は、本当のところ、医療への貢献とかそういう目標のためではない。エリートになることやお金持ちになることとかでもない。


        自分にとって大事なものを、いつでもちゃんと選択できるようにしておきたいから。


        友達が困ってるときは助けたい。家族を何が何でも守りたい。

        「ごめん、俺力になれない。」

        とは絶対に言いたくない。

        「任せろおおおおおおおお俺の出番んんん! 」

        って助けられる、いざってときに頼れる男になっていたい。今度こそ。

        強くなりたい。それが、僕は自分の力で人生を動かせるように賢くなること、そして考え方を磨くことを在学中の目標にしている原点なのだと気付いた。

        おしまい。

        2012.3.11 14:43

        静かにその時を迎えようと思います。
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        表現を磨き続けること

        1

        思いつくままに書きつらねたときに出来上がるブログは、荒削りな構成と言葉でいっぱいな分、そのときの感情が素直に出ているように思う。

        そして、何度も書き直したり、言葉を変えたり、構成を考えたりしているうちに、内容は整理される。一方で、感情的な文章が削られて、どこかその時書いていた自分のテンションが消えてしまうような、もったいなさを感じることがある。

        そのときの情熱を凝縮したような文章が書けたらどんなに嬉しいか。



        ところで、僕は自分の情熱を人に伝えるのが苦手だ。

        心の奥底でそれを魅力に感じているのは知っているのに、どうしてその情熱が湧いているのか、分かっていないからだ。もしかしたら、そういうのって情熱とは言えないのかもしれない。


        何度も言っているけれど、自分が何を感じ、考えているのか、ということを知る一番の方法はこうして言葉にすることだと思っている。それは間違いない。向き合う時間の長さに正比例しているわけではないと思うけれど、書けば書くだけ、海の中に沈んでいくように、深みに近づいている感覚がある。僕はその感覚が好きだ笑。

        ぽっと話をふられても、その場で考えついたことで、自分のことを適切に表現できたことなんか無いから、自分固有のストーリーを語るには、言葉による表現を繰り返していないとできない。

        言葉を選び直したり、構成を変えるということの目的は、僕の文章を読みやすく、理解しやすくするためだ。つまり、人に伝わるように書き直している。もちろん自分にも伝わりやすくなるはずだ。
        それは僕からすると、深みに近づく、というよりも、同じ場所にたどり着くための最短コースを探る行為に近い。
        僕がその文章を初めて書いたとき、自分を表現できたと思えたときに初めて、「こんなことを考えていたんだ!(こんな場所があったんだ!みたいな感じ)」というような感動がある。だから、いくら校正を重ねて、その自分の感情にたどり着く最短コースを見つけても、そこに感動しない。

        自分の書いたブログを書き直すのは、一番最初に書いたように、その情熱が失われてしまうような気がして好きではなかった。
        だけれど、こうして考えてみた結果、今の僕に仮説としてあるのは、繰り返し繰り返し、"そのとき一番伝えたかったこと""感じていたこと"の表現を磨いていくことでこそ、より深みに近づけるのではないかということだ。

        荒削りを荒削りのままに放置しておくのではなく、何度も磨いてみる。何度も向き合ってみることで、同じ深みへのアプローチがスムーズになり、より深い場所へのアクセスに挑戦できる。

        人に情熱を伝えるための根本的な訓練は、そのとき辿り着いた深さに満足することなく、もっと深みに潜って、本音を拾い上げることなのかもしんないね〜〜。




        こんな感じで後半はひどく疲れる。俺の本音ってなんか重量ある気がするな。拾い上げる力のほうが無いのかも。怠っていたからかな。

        ちょっと思いつきで書いてしまったけれど、まあいいや。
        ブログを始めたぞー!!ってときは、二つや三つ書きたくなるよね、ふんふん。

        2012.2.13

        もう4回書き直したw
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        新調

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          ブログを新調した。
          タイトルも変えた。まだ迷ってはいるけれど笑

          僕はmixiやtwitterといったSNS、このブログも含めネット上で発言する時は、自分の名前を出すことにしている。

          それは、自分の言葉に責任を持つためだ。

          誰にどう見られても構わないように言葉も選ぶ。リアルの生活で言えないことは決して言わない。その制限の中で、自分を精一杯に表現する場がこのブログだと思っていた。

          このブログは大学入学時に始めたブログだ。1年弱ほぼ毎日続けていたけれど、11月に書いたブログにも書いたように、自分の言葉と自分の中身との乖離を感じたから、休止状態にした。半年ほど経ち、こうして再開したっていう背景がある。僕以外にとっては、どうでもいいことだけれど笑


          このブログを休止している間も、ずっとブログを書こうと思っていた。
          自分としてではなく匿名で。
          違う書き方が、もっと自由な、素直な書き方が出来るはずだ、と考えたから。
          でも何回も新しいブログを作っては書き始めたけれど、どうしても書き手として言葉をうまく扱えないことに気付いた。そもそも言葉が出てこない。


          僕がこのブログを再開したのは、
          "自分の言葉に責任を持ちつつ、自分という存在を磨きたい。"
          という理由から。

          いつからか分からないけれど、書いてる内容と素との乖離が始まったその頃から、素直に、適切に自分の内面を表現しようとする努力をやめていたと思う。でも、僕はもっと自分が何を感じているか、何を考えているか、ということを深く理解していたい。
          そうすることで、自分の夢や目標、在り方を追求できるだけでなく、もっと周囲の人を大切にできると思っているから。そうして、ここまで来たんだと思っているから。

          ようやく、休止以前に書いていた記事を非公開にする踏ん切りがついた。今日が、再開の日だと思う。

          だから、節目としてこの記事を書きました。

          よりによってバレンタインデー前日にw

          2012.2.13
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          ぶっちゃけちゃうと、俺の将来って不安だよね〜

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            自分が何を感じ、何を考えて、何を目的に行動しているのかたまに分からないときがある。

            というよりも、それに気付くときがある。

            今は、『ブラックジャックによろしく』という題の漫画をオンラインで読んでいた。これは、フィリピンにいた時に見つけて、帰国したら読もうと思っていたことを思い出したからだが、皆さんもぜひ読んでみてほしい。何かしら訴えてくることがあると思う。医者って、医療ってなんなんだ、とね。誇張されていても、それが嘘か真か、判別のつかない描写がそこにあるなら、考える価値があると思う。思いっきり感情を揺さぶられているのに、今自分が何を感じているか、考えているのか、捉えることが出来ない歯がゆさを感じている。


            自分が何を感じているか、考えているか、何が目的なのか。


            それを知るための一番簡単な方法は、言葉にすることだ。


            さっきの夢に対する日記のように、うんざりするくらい量のある文章を書けはする。だけれど、それがはっきりしてきたからと言って、じゃあ行動に反映されているか、となるとまた違う気もする。北京に行った。休学した。アメリカに行った。実験バイトで金を貯めた。フィリピンで語学留学をした。そして、実験バイトに加え、さらに夜間のバイトも追加。最後にアメリカにもう一度行く。そうして僕の休学期間は終了だ。

            休学している間に、勉強以外のことを十分にやって、悔恨残さず、後は本業の専門授業に集中するように努力してきたけれど、勉強以外のこと、自分のやりたいことをやっているからって、そっちに向かえる準備が自然と整ってくるもんじゃない。起業家になりたいのではない。研究者になりたいのではない。留学がしたいのではない。したくないわけでもない。

            じゃあ僕は何がしたいのか、何になりたいのか。

            将来の夢って何?

            やるべきこと、やった方がいいこと、やってみたいこと、やりたくないことがカオス。


            でも、僕は中途半端はもう嫌だ。

            それを知らないから、分からないから、といって、目の前にあることを放り出すような真似はもうしない。義務を全うするべきだ。

            自分の行動に対する成果に多くを求めないこと。
            当たり前のことが当たり前にできること。
            日々の生活の中に、ゆとりを作ること。
            ひとつひとつ目の前にある機会を大切にすること。

            これが、今自分に課しているテーマ。

            なかなか冷めてきている感はあるけれど、それでも僕は今こうした態度を極めることが何よりも重要だと思っている。ありふれたテーマだが、だからこそ、懐は深い。自炊すること。部屋をきれいな状態に保つこと。経済的に自分で負担している金額の割合を少しでも多くすること。授業に休まず出席し、単位を十分な評価とともに取ること。僕が目標にしていたあの人は、確実に出来ていたと思う。

            後輩がしていたツイートの中に、「朝早起きが出来ない人は、自我が形成されていない」とあったが、もっと言えば、自立できてない人は、自我が形成されていないのだと思う。自分の軸というものがぶれやすい、とも言える。自分がその足で立っているという自覚がないのに、どうして、軸なんかができるだろうか。


            僕はこの一年、自分が自立できているかどうか、23歳として在るべき状態になれているかどうかを突き詰めていくと思う。


            僕は今までの大学生活を振り返ってみると、自分の将来が見えない。

            僕は思っている以上に、しっかりしていないし、大人でもない。もう僕の同級生達は来年度から社会に出て働き始める人がほとんどだ。今の僕が彼らと同様に社会に出たとして、ちゃんと仕事ができるかと言えば、そんな自信はない。(自信がない人のほうが多いのは知っている。)去年はひどく強気だったけれど、それは空元気というか、現状を深く見つめていないからだったと思う。覚悟や決意、世界なんて言葉をほいほい使う人間なんか信用できないと思うのだが、どうだろう。


            あなたにとって幸せとは何ですか?
            あなたにとって生きるとは何ですか?


            こうしたありふれた、だけれども重要なテーマに対して、スパッと本音の通り簡潔に答えられる人はどれだけいるだろうか。

            何を感じているか、何を考えているか、それが分からなければ、感じていないこと考えていないことと一緒だ。自分の内で表現できてこそ。

            言葉にするのって確かに難しい。
            「なんとなく」というフィーリングがもっとも的を得ていることもある。
            直感に従うことも大事だし、それが僕の信条だったりする。

            だけれど僕はそれを言い訳にして"なんとなく"に逃げることがあまりにも多かった。本当になんとなく、なのか?

            フィリピン留学中にそれに深く気付けたことが、英語力が向上したことよりも価値のあることだったと思う。


            何も考えていなければ、何も答えられるはずがない。


            もっと不安や漠然とした未来に対して、正直に素直にありたい。正論や一般論を知り、自分との考えのギャップを把握すること、そして自分の抱えている問題点に対して厳しくありたい。

            それが自立していくことに繋がると思う。
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              「僕の夢は日本医療への貢献。」

              自分の夢をこう表現するようになったのは、5月から月2回で通ったiPhoneアプリ開発スクールでご一緒した先輩と将来の目標を語り合った時。

              「自分が本当にしたいことはまだわかっていないけれど、小学生の時に見たERという医療ドラマがきっかけで、医療に携わりたいという漠然とした夢が出来た。大学に進学したときに描いた目標の通り、医療機器を開発する立場か、医療制度を改革する立場か、病院経営コンサルといった立場のどれかに携わりたく、それを見極めるのが今の段階だと思います。」とこんな感じのことを言ったのをよく覚えている。

              その先輩は今も仲良くさせてもらっていて、かつ大好きな先輩です。

              ◆ブレインマシンインターフェース

              ブレインマシンインターフェース(以下、BMI)に興味がわいたのは、地震が起きる前のこと。

              工学部の創造工学研修という単位をもらいつつ、大学の研究に触れる機会を提供してもらえる授業科目がある。そのうち、何人かは、同様のプログラムを行っているUSTBという北京にある大学に行って研究成果を発表し合い、簡単な学術交流をすることができる。僕はそれに参加し、貴重な体験をした。僕は、実際に製作したマイクロマシンに関してではなく、自分で発表したい内容を決められる自由テーマを選んだ。

              準備中、何度もアイデアを出してはボツになり、地震が起きるまで本当にこれで行けるのかどうか危ういところだった。そのボツになったアイデアの中に、BMIという技術、もしくはそれらを応用した機器に出会った。結局それを発表することはなかったけれど、地震が起きて、派遣プログラム自体が延期になった後も、興味を持ち続けた。

              ブレインマシンインターフェースとは、簡単に言ってしまえば、脳と機械を直接的もしくは間接的に繋げる技術で、車いすの例が分かりやすい。車いすに乗っている人が、前進・後退をイメージすれば、その通りに車いすが動くというもの。純粋に興味のわく技術でもあり、これを使った研究と、その応用先を考えることが今年度におけるテーマであった。

              大阪で行われるシンポジウムにも足を運んだ。権威である川人光男という先生に、本読みました、サインくださいなどと何しにきたのかという要望を伝えたりもした。はっはっは。

              ◆ワイヤレス医療

              4月、震災後長引いた春休みの間に、少しでも興味のわいたBMIについて勉強するため、静大でそれ関連の書籍を読みあさっていた時期に、TEDtalksもたくさん観た。特に良かったのは、邦題で恐縮だけれど、以下の三つ。

              "エヴァ・ヴァーテスが医学の未来に目を向ける"
              "デボラ・ローズ:乳腺腫瘍を3倍も発見できるツール、そしてそれを一般に使用できない理由"
              "エリク・トポル:無線通信を使うこれからの医療"

              この最後、エリク・トポルの講演の中で、iPhoneといったスマートデバイスを用いたワイヤレス医療が現実化されつつあることを知った。日常発せられるバイタルサインを高度に管理し、ワイヤレス医療に貢献することにときめいた。そうしたiPhoneアプリを作るにはどうしたらいいか、またはどんな工程があるのか、を知りたくて、アプリ開発に取り組んでみた。

              iPhoneアプリ開発スクールに通ったのは、まずiPhoneアプリ開発を続けられるだけの適性があるかどうかを確かめたかったこともある。アプリ開発に必要なことは分かったけれど、まだ医用アプリの仕組みは残念ながら分かっていない。

              このとき同時に、サンディエゴに無線通信関連の企業が多数集まっていて、そのうちの多くが無線通信による健康管理に取り組んでいること、生命科学関連の企業と連携していることを知った。できることならカリフォルニア大学サンディエゴ校に留学してみたいな等と考えたりもした。

              ◆IT×医療
              秋に参加したシリコンバレーツアープログラムで多くの社会人・起業家にまぎれて滞在している間には、自分が何者であるか、学生であること以外に言えることがなく、歯がゆかったので、せめて何がしたいかを伝えたりした。でもやっぱり自分って何もないし大したことないなあ、と落胆していた。

              シリコンバレーに来たところで、僕の見たいのは、ミーハー気分で味わう有名企業の建物と有名大学のキャンパスくらいしかなかったからだ。聞かなきゃ損損、シリコンバレーで活躍している実業家さんのお話も聞いたけれど、僕が聞くべきだったか聞いて価値があったか分からない。学生時代どんな風に生きてきたか、今をどう生きるべきか、その人なりの考えを聞くことが精一杯だった。だけれど、その分、自分のことについて今まで以上に正直になっていたと思う。
              そんな中で、ちょっと時間の出来た時間に、またもTEDtalks
              "ダニエル・クラフト:医療の未来ですか?アプリがありますよ。"
              を見た。今の医療は、特に日本の医療は、医者の総数自体は欧米と比較して引けを取らないのに対し、病院あたりの医者数であったり、科ごとの医者数となると、極端に偏りが見られ、適切な医療が施されているとは言えない。よく聞く話。

              過度に長い待ち時間に対して、診療時間はごくわずか。そうした現状に対して、電子カルテなど、適材適所に人材を配置できるよう、無駄な工程を取り払うシステムを作ることもしてみたい。

              例えばの話だけれど、日々のバイタルサイン(血圧、体温、脈拍数、呼吸数など)や過去のカルテはすべてデータベースに保存されている未来。患者が許可すれば医者がその情報にアクセスでき、いつでもスカイプ診療みたいなことができる、とか。家にいながら待てるだけでも大きな違い。

              こんな感じでアイデアはいくつかあるけど、どれも共通するのは、IT×医療というキーワード。こうしたアイデアをどんどん現実化していく立場になれたら、おもしろい。

              ◆コミュニケーションサポートツール

              フィリピンで留学している間は、レベルテストという自分の総合的な英語力を図るテストが行われていて、それを受けるためには、エッセイ審査を通過しなければならなかったから、2週間で30以上のエッセイを書いた。20分で250語くらいは書けるようになり、ミスも表現よりは、冠詞の付け方にいくつか間違いが見られる程度になった。色々と欠けるようになってきたところで、自分の夢について英語で書いてみた。

              書きながら、そうか、こういうことしてもみたいんだよなと、我ながら気付いた。患者-医者間、患者-患者間、患者-家族間コミュニケーションを支援する機器を作りたいということ。特にコミュニケーションを取るのに大きな障害を抱えているが、意識はハッキリしている患者を対象としている。前述したBMIがここに活かされると思っていること、自分があんまりおしゃべりじゃない分、人とのコミュニケーション自体に純粋に興味があることが背景にある。




              1年間、ざっくりと振り返ると、今興味ある部分もだいたい整理されたなと思う。何を最優先にするかはまず置いといて、それぞれに対する情報に敏感になり、考え続けることが功を為すと思う。

              今後は、しばらく以上の興味とリンクする一次情報にアタックしていって、自分のアイデアとそれに関わる人との繋がりを増やしていきたい。

              2012.2.12
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              2011年振り返り、そして2012年

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                フィリピンで語学学校の友達と別荘を借り、彼らとともに新年を迎えた。
                海外で、日本以外で年明けを迎えるのは初めてだ。

                新年が本格的に始まる前に、ちょっと振り返りたいと思う。

                2011年をまとめるなら、
                「実際に体験する、そのサイクルが回り始めた。」


                2011年3月11日14:46
                忘れもしない大地震が起きた。
                震災後いつまで経っても、動き出さない時計の秒針が、あの時間を忘れさせなかった。



                そこには何も出来ない自分がいた。
                勉強も何もかも中途半端だった。
                変わりたくて変わりたくて、あのままじゃ変われる気が全くしなくて。
                休学をしようと決めた。
                USTBとの共同プレゼンもした。
                アメリカに10日間いってSVツアープログラムに参加した。
                フィリピンに2ヶ月語学留学もした。

                休学してからは、ただ金を貯めた。
                行くために資格が必要なわけでもない。努力も何も必要としない。
                チープな実体験をとにかく詰め込んだのがこの半年だ。

                どっちかに振り切ってみれば、良くも悪くもすっきりするもんだと思った。

                今はまさにその語学留学中で、フィリピンに滞在しているから、ちょっと話をそっちに移します。
                英語は喋れるようになります。英語ばかり話す毎日ですから、夢もたまーに英語で見ます。
                大晦日の夜、僕は友達とお酒を飲んでて、韓国語と日本語のスラングについて教え合ったり、飲み会で遊べるゲームを紹介し合ったりしました。
                新年を迎えた後も飲んだり食べたりしていたのですが、いつの間にか寝てしまいました。
                途中からあまり記憶がないのです。

                今朝は妙に右の鼻の穴が気になって、目覚めました。起きたら大量の鼻血がベッドに血溜まりを作っていました。
                新年の朝、したことは初鼻血です。
                あけましておめでとうございます。

                朝ご飯の会話で、昨日話してたあれなんだけどさ〜と友達が切り出した話題を覚えていなかった。
                でも、酔いながらでも英語、喋ってたんだなあと、英語で話すことがすごく自然になってるんだなあと感動した瞬間だった。

                寮に住むから、毎日同じメンバーと顔を合わせる。
                何も用はなくても同じ時間、長い時間を一緒に過ごす。
                僕はいつもスタディールームにいるので話している時間は少ないけど、
                教室間の移動とかご飯を一緒に食べるとか、そういう些細な時間を共有してることこそが大きい。

                語学学校に来ても、教科書を読まされ、問題を解くといった授業は行われない。
                教科書は使いますが、トピックを紹介するだけ。
                これについてどう思うか、その理由はなんだ、、、
                質問と応答の繰り返し。
                英語を教わるわけではなくて、英語で授業をしている。
                まあそれが普通なんですよね。
                時々雑談だけで終わる授業もありますが、英語で話すので、僕らには立派な授業。

                そして、ある程度英語が喋れるようになってくると、
                いずれにせよ、中身が重要だと当然なことに気付いた。

                使える言葉は少なくても、伝えたい内容が素敵なら当然評価される。
                どれだけ喋れても、話していることがクソならやっぱりクソ。

                だから何よりも毎日を一生懸命に生きることが大切だな、とすごいありふれた答えに辿り着きました。


                少し飛躍があるように感じますか。
                こうした質問を毎日受けます。
                テキストに書いてあるから。

                あなたの最も大切な人は誰ですか?その理由は何ですか?
                あなたの幸せとは何ですか?その理由は何ですか?
                離婚についてどう思いますか?
                貧しい子供が手を出して、お金や食べ物をせがんできたとき、あなたはどうしますか?その理由はなぜですか?

                ありふれた話題ばかりです。
                僕はそれらに対する明快な答えをほとんど持ち合わせていないことに気付いてしまいました。

                一生懸命生きていなかったんだ。
                流して生きていたんだ。

                そう自覚せざるを得なかった。

                いちいち、こういった質問を自分で作って、毎日考えるべきとは全く思わない。

                ・与えられた機会に対して、誠実に応えること
                ・何かに応えるとき、「なんとなく」で済まさないこと

                これが今までの俺に最も足りていない能力だった。
                2011年、俺を悩ませたのはこれに違いない。


                「自分という器に、何を、どう積み重ねるか」
                これが2012年の至高のテーマです。

                今年もよろしくお願いします。

                2011.1.1

                倉田慎
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                はいどうもー

                0
                  ■近況報告

                  ごぶさたごぶさた。

                  新しく書き始めるなら、どっちにしても新しいブログを作り直そうと思いつつ。

                  久々に休止中の看板を取り下げたし、ブログを再開しようかどうしようか迷っているくらいなら、まあとりあえず一発書いてみようか、というわけで、筆とってます。

                  筆とってます、といいつつ、キーボードかたかたさせてるんだけど、うまい表現ないかね。
                  キーボードとってます、ってなんかもう違うしね。



                  最後に記事を書いて、そして一時休止という形にしてから、もう5ヶ月が経ったんですねー。

                  近況報告するには、長過ぎる気がしますが、ところどころ端折りつつ、今強く思っていることを順々に書ていきます。


                  ■素直であること

                  僕は何よりも優先して自分に素直でありたい。

                  これは、自然体であるとか、直感のままにとかって言い換えられるかもしれなくて、各々が持ってる言葉のイメージに依存すると思うけれど、僕にとっては素直が一番しっくりくるんす。


                  自分だけではなく、相手の気持ちや行動に素直に反応することってとても大事なことだと思うんですよ。

                  アメリカに行ってきたんですけど、このことに関して本当に考えさせられました。

                  当たり前のこと/考えるまでもないことに対して、僕は時間と労力をかけ過ぎているんじゃないでしょうか。

                  俺そんな賢くないし、思慮深くないんだから、
                  すなおーにしょうじきーに行動することが一番生きやすいんだと、
                  改めて思いましたね。

                  今の究極の目標とする人間軸です、素直になることが。


                  ■僕がブログをやめた理由

                  なんでブログやめたくなったかって、
                  自分の理想と現実とのギャップに耐えきれなくなったからだと今になって思うのですよ。
                  このブログに書いてたこと全て、自分の本音で、嘘をついていたわけじゃない。

                  でも、どんどんリアリティを無くしているような感覚にあったし、
                  発する言葉がどれも自分の考えを適切に表現できていなくて、
                  結局背伸びしたような文章を書き続けていた。

                  そのことに耐えきれなくなったんだと思う。



                  自分の考えや思ってることを相手に伝えるのは難しい。


                  俺は人見知りするとか、なんならコミュ障!なんつって半ばネタにしてたけど、

                  自分の考えを、今の相手との会話の文脈に組み込ませることに苦手意識感じてるだけなんですよね。まあプレゼンでいうところのイントロダクションですかね。


                  でも最近、1つの対処法を見つけたんです。


                  それはもう包み隠さず全部言い切っちゃうこと。

                  かっこつけるのもやめて、考えてることの大半はオープンにしてしまうこと。


                  それが休学してから(あっ今休学してますw)自然とできるようになったし、
                  いろんな人と前以上に深い話ができるようになってる気がする。


                  休学しているんですー、
                  まじで、なんで?
                  ってところで、洗いざらい話せるきっかけになってるんですね、たぶん。


                  まあ、こうやってブログやツイッターとかで自分の考えを発するときに、今一番注意していることは、自分の言葉を大切にしようと言うことです。

                  適切な言葉選びができるように努力しようと思うし、抽象的であったり背伸びした言葉や表現は極力使わないようにしようとしてます。具体例は上げればきりがないのですが、世界を変えたいとかトップに立つとかってもう絶対に言いたくないですね。なんとなく、で片付ける言葉遣いはやめたいです。その光景がイメージできないから。

                  「自分で何言ってるかよくわかってないでしょ?」
                  みたいなのってむなしいんじゃねーかなって過去を振り返りつつ思たよ。


                  ■コミュニケーションについて思うこと

                  自分の考えってとても重要だし大切にしたい。

                  けれど、出し惜しみするものでは絶対にないと心底思えるようになりました。

                  自己完結した世界から抜け出せないままに会話をおえてしまうのがとてももったいないですよねー。その会話で、自分と相手の中に何も新しい価値観や考えが生まれなかったんだもの。

                  てなわけで、自分の考えてることをある程度出し切ってからが、ある意味コミュニケーションの始まりなんだなと思うようになりました。だだだだだーって自分のもってた考えを言い合ってるうちは、自己紹介の範囲内ということ。

                  正直、いろいろまとまってない部分もあるけど、一旦区切りますw

                  自分の伝えたいことと聞き手との間にあるギャップ(適切な言葉が見当たりません)を埋めるまでの道筋をすぐに構築できるようになったら、スムーズな話し運びができて、もっとコミュニケーションって楽しくなるんだろうなあって思えるようになりました。


                  ■まとめ

                  とりあえず、思ってることは出し切ること。

                  人の本音は、その人自身から聞き出さないと正確には分からない。

                  僕がどんなにその人のことを思い、その人の身になって考えても、
                  限界があること。
                  相手の気持ちを考えることは大事なことだけれど、
                  それは"僕の中のその人"が考えていることでしかないことを忘れてはいけない。

                  本音は自分から語らない限り、伝わらない。


                  空気を読むのは、どうしてだろう?

                  ちゃんと理由があるはず。

                  思いやりであるとか、その人がしてほしいことを察してあげよう、とか
                  まあつまり価値観や気持ちを共有するためなんじゃないかなーって今考えてみたよ。

                  だったら、あえて言葉に出して「自分はこう考えている」と伝えて、
                  意図的に形づくることもときには重要じゃないかなって思う。

                  どうしても、自分の考えを小難しく伝えてしまうんだけど、単純に
                  オープンなコミュニケーションってとても気持ちいいもんだ、
                  とアメリカいってきて思いました。

                  すれ違うときにニコッて微笑んでくれること

                  「おはよう〜、今日は冷えるね」
                  「それ美味しそうだねーどこで買ったん?」
                  「ドア開けといてくれてありがとね」

                  何気ないというか、ね。なんかね。


                  素直にこれええやん〜。って思った。


                  ままま、
                  とにかくもっと本音で語り合える友達がいっぱい増えるといいなあって思います。

                  今、まさに今、身の回りに本音で語り合えそう、ずっと繋がっていけそうな友達が増え始めてるので、大事にしたいです〜〜


                  すっげええーー長く書いたあああああ。

                  あでゅー!



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